水晶の舟 / ライブ評


水晶の舟単独公演 <UNDERGROUND SPIRIT ]>
(吉祥寺シルバーエレファント/2018年3月30日




私はこの日、30分程度遅れてしまったのだが、しかし、会場に入る前から、私の中では既に演奏は始まっていた。
聴こえなくとも、水晶の舟と共に在ったのだ。

椅子に腰掛けノートを開いた頃の演奏とは、ミドルテンポで原田淳のドラムと紅ぴらこの歌だけかと錯覚するほどに、
影男のギターと松枝秀生のベースが最小限に溶け合っていた。

「必ず朝が来る」。音が私の体に吸い込まれていく。私の体はひとつではない。
時間、空間、記憶、忘却。隙間だらけの、物質感の喪失。個であることの疑問。

曲に退廃を感じたとしても、気品が勝る。張り詰めるのでも、削ぎ落とすのでもない。
在るが侭の美しさがここにある。降り頻る雨、旱魃。心地よい風、暴風雨。

優しいせせらぎ、津波。植物は根こそぎ?がれても、また生えてくる。
薪をくべた炎と、土石流は異なるのだ。影男のアルペジオ、ぴらこの縦笛。

人がいない、太古の世界へ導かれる。「遠く、古い、記憶の向こうで、きみは微笑む」。
言葉を話すことは、人間としての能力の劣化であろう。言葉と歌は違う。

原田がカウントする。いつか、どこかで聴いた歌。リズムを鼓動や胎動といった自然現象から切り離すこと。
MCが入る。今日、休憩はないという。

影男が横笛を断片的に吹く。この時間に、融和する。あらゆる概念からジャンプする。
影男は風鈴を鳴らしながら歌う。原田はブラシ、松枝は打音。

世界は終わらない。はじまっていないから。ぴらこのギターの単音が突き刺さる。
「薄汚れ、灰色の、巨大な、この街」。闇にいる魔物は、実は神かも知れない。

それを排除すれば、何も残らない荒野となろう。時はずっと続いている。はじまりもおわりもない。
暗闇の中で、独りぼっちで。残されている魂が当たり前の事実だ。

その心が、時には他の心と一致する。それだけでいいのではないだろうか。光の中から闇が生まれてくる。
闇の中に光が取り残されても。

聴こえてくる音の中から、在りもしない音を探す。お願い、祈り。ささやかな希望が心を通わす切っ掛けとなろう。
影と暗闇は異なる。

倍音と摩擦。摩擦のない無重力地帯。虚構。自らが生み出すものと他者に造られてしまうもの。
あのときへアクセスする。地割れ、海が裂け、空が割れる。それが、未来だ。




(宮田徹也/京都嵯峨美術大学客員教授)




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