水晶の舟 / 紅ぴらこ (クレナイピラコ)
<プロフィール>
福島県会津若松生れ。 本名 二木啓子(フタツギケイコ) 1歳の時に川崎へ引っ越し、5歳から12歳までは大阪、その後千葉、横浜と転々とする。 1979年 単身で東京に移住する。 東洋大学文学部・国文学科在籍中に、路上やライブハウスでアコースティックギターによる弾き語りを始める。 1987年 フリースタイルなロックバンド「うばたま」に加入。 ボーカル、パーカッション担当。主に新宿、渋谷で活動。翌年脱退。 1988年「放熱器piton」を結成する。主に吉祥寺で活動。2年後解散。 「サイレントマジョリティ」を結成する。後にベース弾き語りを始める。 その後音楽活動をしばらく停止し、精神世界の仕事に就く。 1997年 水晶石店勤務の頃、インスピレーションの赴くまま絵を描き始める。 街や店で人物のスケッチをするうちに、人間、動物、音楽の気や魂の絵を描くようになる。 公園で魂の似顔絵描きを始める。 また夢の絵を数多く描くようになる。 他に飲食店のウインドウ画を手がけたり、粘土での造形を始め、想像上の動物をたくさん作り販売する。 1999年 音楽活動の再開を決意し、メンバーを探し始める。 春、通いの店でスケッチをしようと色鉛筆を探していたところ、隣に座っていた影男が色鉛筆を貸してくれ、絵描きの影男と出会う。 夏、西荻窪のロックバーで影男と再会する。 夜中から朝まで二人でスタジオに入り、延々と爆音ノイジーな即興セッションを頻繁に行う。 二人のセッションは益々絵画的な表現になっていった。 音楽と絵画の融合的な表現の可能性を強く感じ、影男を誘い「水晶の舟」を結成する。 (以降は水晶の舟プロフィールを参照。) 紅ぴらこ(クレナイピラコ)の名前について: 学生時代の友達が、紅ぴらこを題材にした童話を書き、そこから名前をもらった。 童話では「ピラコ」という名前だったが、名字を自分でつけ加え、「紅ぴらこ」にした。 紅ぴらこ日記 (ブログ) ぴらこの部屋へ |