水晶の舟 / 影男



1965年の7月末、東京の板橋にて生を受ける。

幼少の頃より絵を描いたりものを創る事を好んでいた。 よく花や草やどんぐりなどの木の実をせっせと好んで拾って来てはそれらの造形や微妙な色合いを眺めて喜んでいたり、絵を描いたり、何かを作ったりするのが好きな子供だった。

父祖の出身地は秋田や青森の地方で本名は"浅利 忍"。この地方では良くある名前ではあるが、東京では変わった苗字でその為か小学校から高校の間の集団生活の中ではいじめの標的になった。

1978年 本格的に洋画を師に付いて習う。 
この頃にギターを購入し、遊びだす。 初めて手にしたこのギターは、メーカーは不明でとても安っぽい塗装の施された白い小振りのガットギターだった。 近所の質屋にあった質流れ品で確か二・三千円位で購入したと記憶する。 それでも嬉しくて布団の中まで持ち込んでいた。

1983年 東京・吉祥寺附近にある某美術学校に入学し洋画を専攻する。
前記の白いガットギターにエレキの弦を張って遊んでいたらギターが大破してしまう。
美術学校の友人の薦めで東京の荻窪にあった中古楽器屋にて東海のゴールドトップ・レスポールモデルを購入する。
この友人たちとバンドを組むがパープル、クリーム、ツェッペリンのコピーが主であり、次第に辛くなってきてギターを弾かなくなってしまい絵に集中してゆく。

その後、美術学校を卒業し絵描きとして活動を続ける。

1991年頃、人間としてそして絵描きとしての道と理を見失い絶望する。
ソ連、欧州、アラブの諸国を放浪し彷徨う。 この旅にて、死にも等しい諦めの中での再生・光明を見出し帰国する。

帰国後も絵描きとして活動の続けてゆく。

1999年 東京・西荻窪の飲み屋界隈にて当時水晶などの石を取り扱っているショップで働いていた紅ぴらこと出会う。 ぴらこ曰く、 「影の中に存在がある。影の中に生きている男・・・ と云う」 最初の印象から 「影男」 と名付けられる。 自分の声が嫌いだったが何故か歌を歌う事になる。

その後、したたかに酒を飲んでは酩酊状態でスタジオに籠り延々と何時間もセッションを繰り返す。 セッションは殆んどが本能を剥き出しにした爆音でノイジーな即興演奏であった。 何も考えずにただ続く限りに。

1999年の夏。 「音楽の中に絵画の方法論を用いる事は可能である」 と考え、そしてぴらこの勧めもあり彼女とバンド 「水晶の舟」 を結成する。 その覚悟を示す為に長年とり続けてきた絵筆を折る。 絵筆こそは私にとって誇りであり、自信であり、そして今まで生きてきた証、その全てであったからだった。
ぴらことバンドの名前を考えている時に、真っ暗な闇の中に水晶で出来た舟の浮かんでいる幻覚を見た事から 「水晶の舟」 とした。

後に現在愛用のスクワイヤーのストラットタイプのギターを入手する。
このギターはとても気に入っている。


以降は水晶の舟プロフィールを参照。





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